大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和50年(ワ)865号 判決 1977年12月12日

原告

佐野清志

被告

日本電信電話公社

主文

一  被告は原告に対し八九六万八〇三一円およびこれに対する昭和四四年一二月四日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その三を原告の、その余を被告の各負担とする。

四  この判決第一項は、かりに執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

(一)  被告は原告に対し二五二九万二六六七円およびこれに対する昭和四四年一二月四日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

(三)  仮執行の宣言

二  被告

(一)  原告の請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

第二請求原因

一  事故の発生

(一)  日時 昭和四四年一二月三日午前一一時三〇分頃

(二)  場所 静岡県田方郡土肥町土肥一四三番地の一先路上

(三)  加害車 クレーン車(静八て一三三号)

右運転者 佐々木雄司

(四)  被害車 清掃車(静四た一五五一号)

右運転者 原告

(五)  態様 前記路上側端に塵芥収集のために停車中の被告車の後部に加害車が衝突したもの。

二  被告の責任

被告は加害車の保有者であり、加害車の運転者である佐々木雄司は被告の従業員であるから、被告は自賠法三条に基づき本件事故によつて原告が受けた損害を賠償する責任がある。

三  損害

(一)  原告は本件事故のため頭部外傷、頸部外傷等の傷害を受け、事故後直ちに慶応堂病院で診察を受けたほか、別紙治療経過一覧表記載のとおり入通院して治療を受け、その間の症状の経過は以下のとおりである。すなわち、原告は当初受診した慶応堂病院には脳波検査の設備がなかつたので、順天堂伊豆長岡病院で脳波検査を受け、右検査では特に脳波の異常はないということであつたが、めまい、吐き気、手足のしびれ等の症状があり、その後特に自覚症状というほどのものはなかつたけれども医師の指示で昭和四五年一月一六日まで勤務を休んでいた。しかし、何時までも休んではいられなかつたので、同月一七日から勤務を再開して事故前と同じ運転業務に従事していたところ、同年二月頃から首の動きが不自由になつて痛みが出たり、左手にしびれを感ずるようになつたため、同年四月二二日から勤務を休んで瀬尾整形外科病院で受診し、次いで吉原病院で診察を受けたところ入院を勧められたので同年六月同病院に入院し、入院中症状は一進一退であつたが少しよくなつたので八月中旬頃同病院を退院して以後通院にきりかえ、同年一〇月中旬から勤務を再開したが、翌四六年一月には再度症状が悪化して勤めを休まざるを得なくなり、同年三月には吉原病院に再入院して左前斜角筋離断術および腕神経叢剥離術の手術を受け、同年六月中旬頃同病院を退院した。しかし、手術後の症状は思わしくなかつたので国立がんセンター病院で診察を受けたところ、入院のうえ再手術を要するとの診断であつたので、同年一一月初旬同病院に入院して頸椎の椎間孔開大術等の手術を受けたが、その後も症状はよくならず、左上肢の神経炎と動脈循環障害による左上腕の神経、正中神経より特に橈骨・天骨神経の麻痺が後遺障害として残り、昭和四九年四月二五日症状が固定した。

(二)  右受傷に伴う損害の数額は次のとおりである。

1 入院雑費 六万二一〇〇円

前記二〇七日間の入院中一日当り三〇〇円の雑費を要した。

2 付添看護料 二〇万七〇〇〇円

前記入院中の付添看護により一日当り一〇〇〇円、合計二〇万七〇〇〇円相当の損害を蒙つた。

3 交通費 四五万九七四〇円

順天堂長岡病院通院分として自宅から同病院までの往復バス代金一〇二〇円の二回分二〇四〇円、瀬尾整形外科病院通院分として自宅から同病院までの往復バス・鉄道代金一一八〇円の五回分五九〇〇円、佐藤医院通院分として自宅から同医院までの往復バス代金八〇円の六五回分五二〇〇円、吉原病院通院分として自宅から同病院までの往復バス・鉄道代金一四〇〇円の五二回分七万二八〇〇円、国立がんセンター病院通院分として自宅から同病院までの往復バス・鉄道代金三五六〇円の一〇五回分三七万三八〇〇円、以上合計四五万九七四〇円。

4 休業損害 二八〇万〇五六四円

原告は本件事故当時静岡県田方郡土肥町役場の職員として清掃業務に従事していたものであり、事故後昭和四七年二月までは前記受傷のため病気欠勤中であつたが正規の給与の支給を受けていた。ところが、昭和四七年三月からは休職扱いとなり、同四八年二月までは正規の給与の約八割に当る七一万四八九六円の支給を受けたが、この間正規に勤務していれば一〇五万三五六〇円の給与の支給を受けることができたはずであるから、右期間中に三三万八六六四円の休業損害を蒙つたことになり、昭和四八年三月以降も同町を休職扱となつていたが、同月からは給与その他の支給は一切なく、昭和五〇年二月をもつて休職扱の期限が切れたので退職せざるを得なくなつた。そこで、昭和四八年三月から後遺障害の症状固定時である昭和四九年四月までの一四ケ月間の休業損害を昭和四八年度賃金センサスによる四九歳男子労働者の平均賃金(月額一三万四七〇〇円、賞与その他の特別給四九万三八〇〇円)に基づいて算出すると二四六万一九〇〇円となる。

5 後遺障害による逸失利益 一四二六万三二六三円

原告は大正一四年一月二日生れで健康状態も極めて良好であつたが、前記後遺障害(労働者災害補償保険法施行規則別表第七級に該当)により労働能力の五六パーセントを喪失した。そこで、前記平均賃金を基礎に喪失期間を六七歳までの一七年間としてホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して右後遺障害による逸失利益の現価を計算すると一四二六万三二六三円となる。

6 慰藉料 五五〇万円

前記入通院に対する慰藉料として一五〇万円、後遺障害に対する慰藉料として四〇〇万円が相当である。

7 弁護士費用 二〇〇万円

四  結び

よつて、原告は被告に対し二五二九万二六六七円およびこれに対する本件事故発生の日の翌日である昭和四四年一二月四日から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三請求原因に対する被告の認否および主張

一  認否

(一)  請求原因第一項は認める。

(二)  請求原因第二項のうち、被告が加害車の保有者であり、加害車の運転者である佐々木雄司が被告の従業員であることは認めるが、その余は否認する。

(三)  請求原因第三項(一)は否認する。同(二)のうち、原告が本件事故当時土肥町役場の職員として清掃業務に従事していたこと、および原告の生年月日は認めるが、休職の事実は不知。その余は否認ないし争う。

二  被告の主張

(一)  かりに原告が本件事故によつて何んらかの傷害を受けたとしても、それは遅くとも昭和四五年一月一六日までに治癒している。

すなわち、佐々木雄司は加害車である普通貨物自動車を時速一〇キロメートルで後退運転中に停車中の普通貨物自動車である清掃車に衝突させたものであつて、時速一〇キロメートルの速度で衝突した場合の衝撃がさほど強烈なものではないことは経験則上明らかであり、しかも、原告は加害車が近づくのを見ていたのであつて不意打ではなく、また、清掃車上の作業員には何んの結果も発生しておらず、清掃車の衝突部位の損傷もさしたることはなかつたのであるから、原告がある程度の衝撃を受けたとしても、さほど大きなものではなかつたはずである。原告は事故後、またはこれに近接して慶応堂病院および順天堂病院で受診しているが、その症状は原告自身の訴えのみであつて他覚的には「瞳光正常・眼底正常・脳神経正常・上肢反射正常・下肢膝蓋腱反射右亢進、病的反射なし、頸椎変形なし、脳波正常」という所見であつて、下肢膝蓋腱反射以外は何んら異常はなく、下肢膝蓋腱反射も病的なものではなかつたのであるから、原告が訴えるような事実はなかつたものである。原告は昭和四五年一月一六日から傷害は治癒したとして出勤を始めているが、約三ケ月後の同年四月から医師通いを始め、慶応堂病院に通院しながら瀬尾整形外科病院に通い、吉原病院で受診しながら国立がんセンターの診療を受け、さらに佐藤医院にも通院するという医師遍歴を行つているが、昭和四五年四月二二日受診した瀬尾整形外科病院では項部痛の訴えにもかかわらず客観的所見は認められず陳旧性頸椎捻挫と診断されており、この陳旧性というのは過去にやつたらしい、または患者がそういつているという程度の意味で後遺症ではないのであるから、このとき既に原告の傷害は治癒していたものである。

以上の次第で、原告の傷害はおそくとも昭和四五年一月一六日以前に治癒しているというべきであり、したがつて、本件事故と相当因果関係のある損害は右以前のものに限られるべきである。

そして、その後の原告の医師遍歴は肩関節周囲炎(いわゆる五十肩)等明らかに本件事故と全く関係のない加令現象と思われるものを含み、その余は他覚的、客観的な症状の認められない原告の主観的な訴えによつて無意味な処置、手術が繰り返されたものであつて、本件事故と相当因果関係のある損害と認められるべきものではない。

(二)  かりに、原告主張のように本件事故と相当因果関係のある損害が昭和四五年一月一五日以降も発生しているとしても、原告は前記のとおり無意味な医師遍歴を続けて自ら新しい損害を造出したのであつて、その責任は原告にも帰せられるべきであるから、原告の過失によつて損害が拡大したものとして過失相殺がなされるべきである。

(三)  かりに、右過失相殺の主張も理由がないとしても、原告が主張する後遺症状はいわゆる賠償神経症であり、医師を遍歴して無意味な処置・手術を繰り返して造出されたものであるから、発生した損害に対する被告の寄与率は低く、被告が自己の寄与率をこえて責任を負ういわれはないから、損害の負担についてはいわゆる割合的控除がなされるべきである。

第四被告の主張に対する原告の認否

いずれも否認する。

第五証拠〔略〕

理由

一  事故の発生

請求原因第一項は当事者間に争いがない。

二  責任原因

被告が加害車の保有者であることは当事者間に争いがない。

右事実によると、被告は本件事故によつて原告が受傷し損害が発生したとすれば、自賠法三条に基づいて右損害を賠償する責任がある。

三  損害

(一)  受傷内容および因果関係について

成立に争いのない甲第一九号証、同第二三、二四号証、乙第三号証、同第四号証の一ないし三、同第五ないし七号証、同第九号証の一、二、同第一〇ないし一七号証、原告本人尋問の結果によつて成立を認め得る甲第二号証の一ないし三、同第五号証、同第六号証の一ないし六、同第七号証の一ないし五、同第八号証の一ないし三、同第九号証、同第一〇号証の一、二、同第一一号証の一ないし四、同第一二ないし一六号証、同第二二、二五号証証人小野沢達男、同佐々木雄司の各証言、証人兼鑑定人笹井義男、同渡辺英詩、同高倉公朋、同菊地貞徳の各証言および原告本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨を総合すると、

(1)  原告は本件事故当時静岡県田方郡土肥町役場の職員として清掃業務に従事していたものであり(この点は当事者間に争いがない。)、本件事故はごみ収集のために事故現場で一時停止していた原告運転の清掃車の左後部に、同車の左前方の道路左側沿いにあつた空地で方向転換をしようとして右清掃車の四〇ないし五〇メートル後方の被告の工事現場から時速一〇ないし二〇キロメートル位の速度で後退してきた佐々木雄司運転のクレーン車の左後部が衝突して発生したものであるが、右佐々木は衝突まで清掃車に気がついていなかつたのでクレーン車は無制動の状態で清掃車に衝突しており、原告もクレーン車のエンジン音とバツクミラーで同車の接近には気がついていたものの同車の衝突までは予想していなかつたので衝突に備えて身構えていたわけではなかつた。なお、右清掃車およびクレーン車とも二トン積の普通貨物自動車であるが、クレーン車にはクレーンおよびその補助装置がついているので、同型の貨物自動車よりもかなり自重が重くなつていた。

(2)  原告は、事故直後一時気分が悪くなつたけれども間もなく右症状は治まつたので、そのまま作業を続けようとしたが、同僚や被告の工事責任者に勧められて土肥町内の慶応堂病院で診察を受けたところ、頸椎捻挫で約三週間の加療を要する旨診断された。そこで、勤務を休んで同病院に通院し注射、投薬、けん引等の治療を受けていたが、同病院には十分な検査設備がなかつたところから昭和四四年一二月六日と同月八日の二日間順天堂伊豆長岡病院に通院して検査を受け、その後も右慶応堂病院への通院を続け、同月二四日にはなお四週間の加療を要する旨の診断書の交付を受けたので、自覚症状というほどのものはなくなつていたが翌四五年一月中旬まで同病院に通院し、その頃同病院の医師から就労を指示されたので、同月一六日から出勤を始めて事故前と同じように清掃車の運転に従事していたところ、勤務再開後一ケ月位してから首が突張るようになつたり時々左手にしびれを覚えるようになつたが、医師の診察は受けないで勤務も一応続けていた。ところが、同年四月頃被告から示談の話が出て役場の上司からも専門医の診察を受けるように勧められたので、同月二二日に勤務を休んで沼津市所在の瀬尾整形外科病院で診察を受けたところ、陳旧性頸椎捻挫により今後約一ケ月間の通院加療を要する旨診断され、その旨の診断書の交付を受けたので、右診断書を役場に提出して引き続き勤務を休んで同年五月二一日までの間に五日間同病院に通院して注射、投薬、理学療法等の治療を受けたほか同病院の指示で前記慶応堂病院への通院を再開してけん引等の治療を受けた。次いで、同年五月二七日兄に勧められて富士市所在の吉原病院で受診したところ、頸椎捻挫で約二ケ月間の加療を要する旨診断され遠距離で通院は無理なので入院をしてはどうかと勧められたので、同年六月一日同病院に入院して投薬、理学療法、交感神経節ブロツク等の治療を受け、かなり症状が軽快したので同年八月一二日退院して昭和四六年三月中旬まで退院後二ケ月間は連日ないし二、三日に一回の割合、その後は月二、三回位の割合で同病院に通院し、その間昭和四五年一〇月一二日から昭和四六年一月九日までの間は時々通院等のために欠勤しながらも勤務を続けていた。ところが、勤務を続けているうちに左手のしびれと痛みが再発して次第に強くなつてきたので昭和四六年一月一一日以降は勤務を休んで同病院に通院を続ける一方、親類の人を通じ国立がんセンター病院総長の紹介を受けて同病院整形外科で診察を受けたところ、近くの病院で治療を続け効果がなければ再度来院するようにとの指示を受けたので、同年三月二〇日前記吉原病院に再入院して同月二四日左前斜角筋離断術および腕神経叢神経剥離術の手術を受け、その後同年六月一一日まで入院して注射、投薬、物理療法等の治療を受けたが、若干の症状の改善はあつたものの結果ははかばかしくなかつたので、同月二二日前記がんセンター病院に再度通院を始めるとともに土肥町内の佐藤医院に通院して投薬を受けていた。しかし、症状は好転せずかえつて悪化したようであつたので、同年九月一六日検査および治療のためにがんセンター病院への入院予約をし、佐藤医院に通院しながら病室のあくのを待つて同年一一月九日がんセンター病院に入院して各種の検査を受けた後同年一二月一五日原告の手術のためにがんセンター病院に招かれてきた国立東京第一病院脳外科医長の執刀、がんセンター病院医師が助手となつて頸椎の椎間孔開大術および骨棘除去の手術を受け、右手術によつてもしびれ感は完全には除去されずやや軽減した程度であつたが、以後は通院による薬物療法を受けることとして同月二七日同病院を退院し、翌四七年一月一三日から昭和五一年四月までの間月三回から一回程度の割合で同病院に通院して治療を受け、受傷以来の治療経過は概略別紙治療経過一覧表記載のとおり(ただし、順天堂伊豆長岡病院の通院期間は昭和四四年一二月六日から同月八日までである。)であるが、現在なお左上肢のしびれ感・痛み、および運動障害と頸部の運動障害および痛みを訴えている。

(3)  前記順天堂伊豆長岡病院受診の際、原告は受傷時瞬間的にぼんやりとした、前日位から顔面に浮腫があつて身体に不安感があり、頸部の突張り、頭痛、吐気があつて両手にしびれ感があると訴えているが、同病院ではエツクス線写真上頭蓋骨および頸椎に骨折その他の異常所見は認められず、脳神経学的な検査においても右膝蓋離反射がやや亢進していると思われるほかはすべて正常で、脳波検査の結果も正常であるとの所見のもとに受傷機転等も考慮して頭部外傷と診断されて一週間分の投薬を受けており、受傷後四ケ月余りで受診した前記瀬尾整形外科病院では、原告は主に項部痛を訴えて診察を受け、診察の結果は頭部運動は全方向に障害されており、特に後屈障害が著明、項部左上部に圧痛を認め、両上肢反射正常、エツクス線写真上頸椎に著変なしとの所見のもとに前記のように陳旧性頸椎捻挫と診断されている。そして、次に受診した前記吉原病院では、原告は項部の突張り、手指のしびれ、頭痛等を訴えて診察を受けおり、診察の結果は初診時にはスパーリングテスト、ヘツドプレツシヤーテスト各陽性、握力正常、エツクス線写真上頸椎に変形の疑いがあるとの所見のもとに頸椎捻挫に基づく続発的な症状が起きているものと診断され、さらに、その後の検査および治療経過等から頸椎には著明な変形はないが、第四、第五頸椎の椎間板が少し損傷を受けている疑いがあり、末梢神経や頸部軟部組織の出血、腫張、癒着等によつて起つた肩関節周囲炎、頸椎骨軟骨症、左前斜角筋症候群、左腕神経叢癒着症であるとの診断で前記のように投薬、注射、物理療法、交感神経節ブロツク注射、前斜角筋離断術等の治療が施されており、右手術は一応成功し他覚的には症状の改善が認められたのに原告の自覚症状はあまり変らず間もなく手術前と同じ症状を訴えているので、同病院の医師が原告の症状の経過に釈然としないものを感じたこともあつた。さらに、がんセンター病院においては、原告は項部の痛み、左上肢のしびれ感、痛み、知覚低下等を訴えて診察を受けており、初診時の他覚的な異常所見としては眼底の乳頭周辺に軽度な不明僚、左上肢の知覚異常が認められ、その後昭和四六年六月の再診までの間に吉原病院で手術を受けているのに訴えはむしろ増強しており、入院後の検査によるとエツクス線写真上頸椎に著変(正常もしくは見方によつては骨棘の形成が変えられる。)はなく、造影剤ミエログラフイーでは著明な異常は認められなかつたけれども空気ミエログラフイーでは硬膜の軽度の癒着が認められたこととなどから椎間孔付近における神経の圧迫によつて症状が出ているものとの判断で前記のように頸椎の椎間孔開大術および骨棘除去の手術が行われたが、右手術によつても左上肢のしびれ感や痛みはやや軽快しただけで完治するに至らず、右原告の症状および治療経過等から同病院脳神経外科医長高倉医師は原告の症状の原因は左上肢の神経に慢性の炎症があつてそのために神経機能の障害、動脈の循環障害を起しているものと判断しており、右循環障害(血行障害)については左上肢の挙上により橈骨動脈の膊動を触れなくなることから他覚にも確認され、右障害のために左上肢の運動力も低下しているが、左上肢の運動機能そのものが侵されているわけではない。

(4)  自動車の追突等によるむち打機転によつて生ずる頸部損傷の中には頸部の支持組織である頸椎、椎間板の損傷を伴うもの、項頸部の軟部組織である靱帯等の損傷を伴うもの、神経組織である脊髄、脳幹部、神経根等の損傷を伴うものなど種々の病態があり、損傷の程度は外力の加わつた方向、被害者の姿勢、外力を予想して防禦反応を起していたかどうかなども関係するので必ずしも外力に比例するものではないが、スピードの遅い軽度の外力の場合には頸椎、椎間板の損傷が問題になることはほとんどなく、大部分は頸部周辺の軟部組織の損傷によつて起るものである。しかし、その症状は、急性期には項頸部の疼痛や異常感、上肢の異常感、意識混濁等であり(全く自覚症状のないものもある。)、これらは一過性の循環障害と頸部の捻挫による炎症によるものと考えられているが、急性期における炎症症状が消退した後も神経と血管や筋肉との間に何らかの悪循環を起し、さらに、このような器質的な損傷を基低に患者の性格、社会経済的な地位、賠償問題等の種々な精神的要素が関係して症状をますます複雑頑固にすることがあり、その訴える症状は頭痛、頸部痛、頸部運動障害、吐き気、指先のしびれ、耳鳴り、上肢のしびれ、立ちくらみ、手のふるえ、肩凝り、下肢のしびれ、手の痛み、眼のかすみ、難聴等多種多彩であり、これらの症状が受傷後一ケ月以上経てから出現することもまれではなく、頭痛、頸部痛、頸の運動障害、吐き気、指先のしびれ等は早期に出現することが多いが、眼のかすみ、難聴、耳鳴り、上下肢のしびれ等は外傷から相当遅れて出現する傾向がある。そして、上肢の痛みやしびれ感、頸肩部の凝り、手指の巧緻運動の障害等の頸肩腕症状は頸肩腕の筋肉に分布している第四ないし第六頸神経根が損傷を受けたときや、前斜角筋の外傷による腫張等によつて上腕神経叢が圧迫された場合にも起り得るものである。

(5)  原告は幼時から胃が弱く、胃痛等で年休をとつて医者に通つたことがあり、昭和四三年一二月初旬から翌四四年三月末までの間胃潰瘍の手術で長期間欠勤をしているが、事故前には頭頸部および上肢には何ら異常はなく、事故後も頸椎の経年性の変形等本件受傷以外で原告の症状の原因となるような病変は見出されていない。

(6)  原告は昭和四〇年頃から自家用車を所有して土肥町営国民宿舎に勤務している妻を毎日送り迎えしていたが、原告方には原告以外には運転免許を持つているものはいないのに本件受傷後も税金や保険金を支払つて右自家用車を維持し続け、遅くとも昭和四八年末には妻の送迎を再開して現在までこれを続けており、昭和五〇年一〇月には新しい自動車に買替えて右送迎や自己の趣味である魚釣りに行くときに使用している。

(7)  原告は昭和五〇年二月二八日付で地方公務員法二八条一項二号により土肥町役場を分限免職になつているが、その後は自己が理事をしている内水面漁業協同組合の事務をとつてみたり、その他二、三の仕事を試みたこともあつたが、すぐ頭が痛くなるといつて止めており、現在は妻の送迎をするほか趣味として時々釣りとパチンコをする以外は何もしないで毎日を送つている。

以上の事実が認められる。

なお、原告は本人尋問において首は左右四五度位しか回すことができず、また机に向うなどしてうつむいて首を支えるような姿勢を一、二時間も続けていると首が突張つて頭が痛くなると述べているが、前認定のとおり原告は左右の安全確認を要する自動車の運転を続け、うつむいて水面をみつめることの多い釣りを趣味としていることからすると、右供述をそのまま措信することはできず、頸部に運動障害や痛みがあるとしてもその程度は原告が述べているように強いものであるとは考えられない。他方、被告は本件事故による原告の傷害は昭和四五年一月一六日以前に治癒していると主張し、証人兼鑑定人笹井義男はその証言および乙第五号証中において、受傷機転から考えて原告の頸部に器質的な損傷があつたとは思われず、診断書、カルテ、エツクス線写真の検討によると他覚的な所見は乏しく昭和四五年一月一五日頃には自覚症状は一たん消失しており、同年四月には過去に頸椎捻挫をやつたらしいという意味に使われる陳旧性頸椎捻挫と診断されていること等を理由に原告の傷害は昭和四五年一月一六日以前に治癒しており、同年四月以降の原告の症状は心因のみによるものであるとの意見を述べているが、前認定の原告の症状、治療経過、諸検査の結果、むち打機転による頸椎捻挫の複雑多彩な痕状経過の可能性等と対比し、さらに、右意見は原告に加わつた外力については四〇ないし六〇キロメートルの高速のままの追突のように強力なものではなかつたという程度の検討しかしていないのに受傷機転から頸部の器質的な損傷は考えられないとし、原告の症状についても診断書、カルテ、エツクス線写真の検討のみで直接原告を診察しておらず、特に瀬尾整形外科病院の陳旧性頸椎捻挫という診断につき陳旧性とは過去にやつたことがあるらしい、あるいは患者がそういつているという程度の意味であるとして同時に右診断が約一ケ月間の通院加療を要するとしている点を無視して右時点で既に治癒していたものとするなどその理由とするところに疑問点も認められることからすると右意見は採用し難く、他に前認定を覆すに足りる証拠はない。

以上認定した事実によると、原告の症状は本件事故による頸部外傷に基づく続発的な症状として現れたものであり、これに原告の精神状態に起因する心因的な要素が加わつて症状を複雑かつ頑固にしているものと認められる。そこで、これらの原告の症状と本件事故との間の因果関係について考えてみるのに、右の頸部外傷に基づく続発的な症状が本件事故と相当因果関係があることは明らかであり、むち打機転による頸部外傷を基低に心因的な要素が加わつて症状が複雑かつ頑固になることがあることは前認定のとおりで、その事例が必ずしもまれではないことは当裁判所に顕著な事実であるから、このような症状も本件事故によつて通常生ずることが予想されるところというべきであり、被害者の異常性格等によつて心因的な要素の寄与の程度が著しく発生した結果のすべてについて加害者に責任を負担させるのが相当でないと認められるような特段の事情のある場合はともかく、このような事情の認められない本件では前示心因的要素の寄与した症状によつて発生した損害についても、社会通念上通常その発生が予想される限度で本件事故と相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

なお、被告は原告が無意味な医師遍歴をして損害を拡大させた過失があると主張しているが、原告の治療経過に特に不自然な点があつたということはできず、手術その他の治療についても治療効果が十分ではなかつた点は見受けられないでもないが、無意味なものとまで断定することはできないので、被告の過失相殺の主張は採用し得ない。

(二)  損害額について

(1)  入院雑費 六万一五〇〇円

前認定の原告の受傷内容、治療経過からすると前認定の二〇五日間の入院中一日につき三〇〇円、合計六万一五〇〇円を下らない雑費を要したものと推認される。

(2)  付添看護料 一万円

前認定の治療経過に前掲甲第二三号証、乙第九号証の一および原告本人尋問の結果を総合すると、原告は前示吉原病院およびがんセンター病院における二回の手術後各一週間程度付添看護を要したが、がんセンター病院では手術後三日目の朝まではアイ・シー・ユー室で二四時間特別看護を受けたので、その後の三日間原告の妻が付添い、吉原病院では右要付添期間中原告の妻が付添つて看護に当つたことが認められるので、原告は右の近親者の付添により一日当り一〇〇〇円、計一万円を下らない付添費相当の損害を蒙つたものと認められる。

(3)  交通費 四五万九七四〇円

前認定の治療経過に原告本人尋問の結果によつて成立を認め得る甲第二二号証および原告本人尋問の結果によると原告は前示順天堂伊豆長岡病院通院分として自宅から同病院までの往復バス代金一〇二〇円の二回分二〇四〇円、瀬尾整形外科病院通院分として自宅から同病院までの往復バス・鉄道代金一一八〇円の五回分五九〇〇円、佐藤医院通院分として自宅から同医院までの往復バス代金八〇円の六五回分五二〇〇円、吉原病院通院分として自宅から同病院までの往復バス・鉄道代金一四〇〇円の五二回分七万二八〇〇円、がんセンター病院通院分として自宅から同病院までの往復バス・鉄道代金三五六〇円の一〇五回分三七万三八〇〇円、合計四五万九七四〇円の通院交通費を要したものと認められる。

(4)  休業損害 一四四万六三八四円

原告が本件事故当時静岡県田方郡土肥町役場の職員として清掃業務に従事していたところ、本件受傷のために長期間欠勤して昭和五〇年二月二八日付で地方公務員法二八条一項二号により同町を分限免職になり、その後ほとんど稼働していないことは前認定のとおりであるが、前認定の原告の受傷内容、治療経過、後遺障害の内容および程度、免職後の生活状態からすると右のうち昭和四八年末(原告の後遺障害はこのときまでには固定していたものと認められる。)までの休業についてのみ本件事故との相当因果関係を認めるのが相当である。そして、弁論の全趣旨によつて成立を認め得る甲第三号証の一、二および弁論の全趣旨によると、原告は昭和四七年二月までは欠勤中も土肥町から正規の給与の支給を受けていたが、昭和四七年三月から昭和四八年二月までの間は休職扱いのため正規の給与の約八割に当る七一万四八九六円の支給を受けたのみであり、その後は給与その他の支給を一切受けていないこと、しかし、原告が本件事故にあうことなく正規に勤務していれば、昭和四七年三月には五万六四〇〇円の給与と期末手当二万八二〇〇円、同年四月から同年一二月までの間毎月六万三二〇〇円の給与とその間の期末勤勉手当二七万一七五〇円、昭和四八年一月から二月まで毎月六万四二〇〇円の給与、同年三月には六万四二〇〇円の給与と期末手当三万二一〇〇円、同年四月から同年一二月までは毎月七万四二〇〇円の給与とその間の期末勤勉手当三四万三六二〇円、合計二一六万一二八〇円の支給を受けることができたはずであると認められるから、右の得べかりし額と前記支給額との差額である一四四万六三八四円が原告の休業損害となる。

(5)  後遺障害による逸失利益 二八四万〇四〇七円

前認定の原告の後遺障害の内容および程度に照らすと、原告は右後遺障害により昭和四九年一月から七年間にわたつて労働能力を制限され、その間の労働能力喪失割合は右七年間を通じ平均三〇パーセントと認めるのが相当である。ところで、前認定事実によると原告の昭和四八年度の得べかりし給与の総額は一二三万六一二〇円となるところ、労働省発表の同年度の賃金構造基本統計調査報告によると同年度の男子労働者の平均賃金(産業・企業規模・学歴計)月額は一〇万七二〇〇円、年間の賞与その他の特別給与の額は三三万七八〇〇円で年間の賃金総額は一六二万四二〇〇円であり、原告の給与は男子労働者の平均賃金のおよそ七七パーセントに該当するので、昭和四九年および昭和五〇年については当該各年度の、昭和五一年から昭和五五年までについては昭和五一年度の各賃金構造基本統計調査報告の男子労働者の平均賃金の七七パーセントを基礎としてホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して原告の後遺障害による逸失利益の本件事故当時の現価を計算すると別紙逸失利益計算表記載のとおり二八四万〇四〇七円となる。

(6)  慰藉料 三五〇万円

原告の前認定の受傷内容、治療経過、後遺障害の内容程度、その他本件に顕れた諸般の事情を考慮すると、本件事故によつて原告が受けた精神的苦痛は三五〇万円をもつて慰藉するのが相当である。

(7)  弁護士費用 六五万円

原告本人尋問の結果および弁論の全趣旨によると、原告は本訴の提起と追行を原告訴訟代理人に委任し、相当額の費用および報酬を支払い、または支払いを約しているものと認められるところ、本件事案の性質、審理の経過、認容額に照らすと原告が被告に賠償を求め得る弁護士費用の額は本件事故当時の現価として六五万円が相当であると認める。

四  結論

そうすると、原告の本訴請求は被告に対し八九六万八〇三一円およびこれに対する本件事故発生の日の翌日である昭和四四年一二月四日から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言について同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 笠井昇)

治療経過一覧表

<省略>

逸失利益計算表(円未満切捨)

(133,400円×12+445,900円)×0.77×0.3×0.8000=378,230円………<1>

(150,200円×12+568,400円)×0.77×0.3×0.7692=421,256円………<2>

(166,300円×12+560,500円)×0.77×0.3×(8.5901-5.1336)=2,040,921円………<3>

<1>+<2>+<3>=2,840,407円

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例